○ 関口さん,大西さん,本間さん,鈴木さん,林さんのその他の短歌,詩

2017年12月22日更新

関口さんの短歌、詩

すぐそばに 精霊たちの 集う場所
意識向ければ いつでも会える

悠久の 大地の時と 共に生き

この身すべてに やすらぎ充たす

君がため 祈る心は 強まりて

いかなる任も 背負いし覚悟

光だと 己の存在 確信し

溢るる感謝に 流れる涙

 

(礼子先生の鶴巻での講習会に参加させていただきました。踊っている皆さんの姿が美しい光のようで、何度も涙が出ました。そしてまた、私も光なのだと、はっきりと自覚できました。その「事実」にただただ有り難くて、涙が出ました。

とても、嬉しかったです。ただ、大地の子であることが。今、この地球に生かされていることが。

わの舞を始めてもうすぐ2年、こんなに静かな幸せが私に訪れるとは、2年前にはもちろん、1年前にも想像もできませんでした。

最後に礼子先生の隣で踊らせていただいたとき、礼子先生のあふれる優しさが伝わってきて、やすらかで、心地よくて、とっても幸せでした…)

個を捨てて  全体のため  身を捧ぐ

その純真に    光は注ぐ

 

わの友に  真の奉仕の  姿見る

全体のため  委ねる覚悟

 

わの友よ  光を纏う  清き人

その空間に  我らは憩う

 

(先日の石原さんの短歌に、救われる思いがし、涙が出ました。

「できるだけ空間を穢さないように、できるだけ心を静めて…」と。何があっても真摯に中心軸に向かい合う強い意識が、石原さんに光を与え、それが周りの私たちにも暖かく伝わってくるのだと思います。

「皆と共にある空間を穢さないこと」、その強い意識は、空間は自分一人のためのものではなく、周りのすべての人やものたちのものだという感覚があればこそだと思います。個よりも全体を尊重する感覚があるからこそ、謙虚に、真摯に、空間を尊重しようと努めることができるのだと感じました。

うまく説明できないけれど、これは『ガイアの法則』に書いてあるような「 献身」であり、「委ね」だと思いました…本当の奉仕、本当の献身とは、個人的に何を抱えようとも、全体の空間を穢さぬよう、全体の空間を生かすよう、空間に身を捧ぐこと、その意識を持ち続けることなのではないかと思いました。私自身、超えられぬ思いや感覚に、なぜ?なぜ!?と足掻きたくなる時があります。そんなとき、体は強張り、空間は歪みます…けれどその苦しみは、石原さんの苦しみとは違ったことに気づかされました。石原さんは、越えられぬものがあるときでさえ、個を越えて全体を見ようと意識された。私は自分の苦しみでいっぱいになっているとき、頭では「全体のため」と思いながらも、心のどこかでは、「自分が楽になるため」に、中心に溶けることを望んでいたのではないか…。
その意識の差は、大きいですね。

どんなことがあっても、真に全体のために身を委ねることができるのかどうか、その覚悟があるのかどうか。本当の意味で個人を越えなければ、真の光はないのだと思いました)

 

千賀より:友から学ぶ姿、美しいですね。わの舞の深みに達している人はわかると思いますが、人は、手離しで幸せな時よりも、何か苦しいことを抱えながらそれを超えているときの方がはるかに強い光を発します。これが重力の力です。誰とも比較せず、ただただ自分の在り方に向かい合い、超えて行く姿ほど美しいものはありません。そんな姿を私はわの舞でたくさん見てきました。他人と自分とを二元的に比較するのではなく、たくさんの方から謙虚に学び続ける姿勢、まさに一元的姿勢ですね。 

一柱    この身浄めて  立てゆけば

神殿造る  支柱となりぬ

さようなら  過去の私に  手を振りて

感謝を込めて    清きお別れ


(過去の私は感謝を込めてお返しする。古い自分は、抑圧して締め出すのではない。育ててもららった感謝を込めて清らかにお別れできる。

そうして過去を捨てれば捨てるほど、新しい自分に出逢えます)

節目ごと  我が魂は  磨かれて

新たな時を  この身に宿す

満ちてくる  時のリズムに  身を委ね

静かな予感に  胸ときめかす

 

(以上の節目の短歌をいただいた時のメール文も、みなさんに参考になりそうなので、掲載しておきます。千賀


いつもありがとうございます。

夏至も過ぎ、新たな時がスタートしましたね。

千賀先生、皆さまの導きを受け、お陰様で私も清らかに夏至を迎えさせていただくことができました。

夏至という大切な節目を前に、自分では越えていたと思っていた自己否定も、潜在意識の奥には、まだまだたくさんの洗脳(既成概念)と自己卑下が眠っていたことに気づかされました。
今回、潜在意識の中の自己否定を浮かび上がらせ、光を当ててあげられることができたのは、本当にありがたかったです。

けれど、きっとこれもまだまだ序の口、これから一生をかけて、気づきと禊を繰り返していくのでしょうね。そう考えると、毎年毎年、節目ごとに大きく成長できるわが身に、歳を重ねることが楽しみな気持ちになりました(^-^)。

私は、私を生きよう、と思いました。

私は、感性に関して勘違いをしていたようです。

幼い頃から「お前だけ皆と違う」、「そんな風に思うなんて変だ」と言われていた私にとって、自分の感性を尊重することは、恥ずかしいこと、自分勝手、いけないこと、人の役に立たないこと、でした。自分の感性を殺してでも、「一般的」「社会的」に見えることを優先してきました。他人には見えない頭の中でさえ「一般的」であろうと、コントロールするのに躍起になっていました。

けれど、すべては自分を受け入れることから始まります。自分の感性、自分の個性、自分の濁りさえも。今の自分をどれだけ深く愛せるか。愛すれば愛するほど、安心して全体に溶けてゆくことができます。)

夏ごろも  重き衣を 脱ぎ捨てて

身心軽く  夏至を待つ

空間は  まごうかたなき  神鏡

己がこころの  すべてを映す

言うよりも  深きを伝う  寡黙の美

型の文化は  日本の礎

袖振りて  愛しき人の  幸祈る
清き振る舞い  日本の優美

責めないで  観守る強さ  やさしさを

育くみ我に捧げゆきたい

おかえりと  やさしき声が    こだまする

愛しき母の    慈愛の響き


ぬくもりて  母の胸から  出でしとも

いつでも我ら    その腕の中


(野口さんの奏でるライアーの調べに誘われて、天との繋がりを深く体感し、何度も涙が溢れました。いつでも、母はそばに居てくれていたのに、一人よがりに我を張って、「何でも自分でできるもん!一人で大丈夫だもん!」と、力んでいたから、ずっと長い間、重力がわかりませんでした。力みが取れたら、その愛がす~っと入ってきて、胸がいっぱいになりました。お母さん、お母さん、お母さん!って、嬉しくなりました。母なる愛を知ればしるほど、その深さ、その慎ましさに驚かされます。反抗期をむかえ、親にたてつくようなことがあっても、親は黙って「待つ愛」も実践します。いくらでも待ちます。愛しい我が子が、自身で気づき、帰ってくるその日まで。それは、 子どもを信頼していないと出来ないことですね。母なる愛に気づいたら、実の母への感謝の気持ちも強くなりました。反発し、憎んだこともあった母。どれだけ心配をかけても、母は忍耐強く、私の帰りを待っていてくれました。母もまた、待つ愛を実践してくれた女性でした。それがどれほど尊くて、ありがたいことだったか。母なる愛は偉大ですね。謙虚な深い愛、本当に脱帽です。そうして、その愛に満たされた私たちは、また、次の世代に愛を継ないでいけますね。誰かから愛を奪おうとすることもなく、誰かに愛を押しつけようとすることもなく、もっとよりよい形で。親の世代ができなかった願いも込めて)

詠むほどに この身静かに 深まりて

気づけばそこに 一元の園


(先生が詩作を薦めてくださって以来、毎日のように詩を紡ぎだしています。多いときには一日40首ほど詠んだでしょうか。気付いたら、自分で自分をとても好きになっていました。自己否定の強かった私が、いつの間にかその壁を超えていたのです。超えた、というよりも、気付いたら壁が溶けてなくなっていた、と表現した方が適切でしょうか。
観念でしかとらえきれなかった空間を、共に生きているあたたかな存在として、深く体感できるようになってきたのです。世界が変わりました。日常のすべて…自分の濁りさえ、尊い詩になります。あらゆるものが美しく見えます。その感覚は、踊るたび、詠むたびに深まっていきます)

わの舞の  友のけだかさ 響き入り

我が御魂をも  天へとみちびく

かの人の  強く優しき  目差しに

我がたましいの  導きを識る

 


わたくしたちは  種  です

わたくしたちは  ひとつの  小さな  種  です

いつか  未来に花咲くことを願う

小さな 種 です

いつか  世界が美しい花で満たされることを夢みる  小さな小さな 種  です


まだ  固い 種  です

けれども 

大きな希望に満ちた  強い 種  です

美しい未来を育む  強い強い 種  です


この種が  いつか  根を張り  光のもとへ芽吹くとき

世界はきっと  変わるでしょう

新しい歴史  刻むでしょう


わたくしたちは  種  です

今はまだ  固く小さい 種  です

今はただ  大地にこの身をゆだね 

芽吹きゆく春を  待ちましょう

私が透明になった日


私が透明になった日

あたたかな  春の匂いがした

 

私が透明になった日

雪融けの  澄んだ水の音がした


私が透明になったとき

そこには  喜びも  悲しみもなく

ただただ  透きとおる私がいた


私が透明になったとき

そこには  名前も  自我もなく

ただただ  一本の軸が  静かに光っていた

 

大西さんの短歌、詩、物語詩

朝日受け 一苗一苗根を下ろし

大地の神に あとは委ねし
(朝日の中で田植えをしているおじいさんを見て。。)

欠点と   おぼえしくぼみ(凹)

   宇宙との 交合すべく  鍵穴となり

ひっそりと   誰知らずとも

  たゆみなく  わを育める  人になりたい 

我が響き  響いた乙女に  響き生み
その響きにまた  我響かされん

まっすぐに 心見つめる その姿
たゆまぬ祈りに  観音様を見る

大切なもの


本当に 大切なものが何かを

心の深い部分で知っているのに

大切にしてこなかった


なぜなら、みんながそれを大切だと

思っていないように見えたから


でもじつはとってもとっても寂しかった


心を大切にし始めたら、同じように大切にする人に出会った


そしてお互いにお互いの心を

大切にしあって

すごく幸せになった


文化がまっすぐならば

私たちの体もまっすぐに育つ

文化は

大事な大事な器


わたしは文化は「傾向」だと思っていた

でも、ほんとうは、

ご先祖の方々が

後世の私たちのことを思って

創り上げられた

貴い貴い器


わたしの家

一つ一つの空間を組み立てて(整えて)いく

家の隅々まで、神様がお宿りになられるように


日本という家

日の出まで もう少し

神様がお宿りになれるよう

できるだけきれいな世界に(空間に)

みんなでしていこうね

宇宙の目


宇宙は

私という目を通してご自身を見る


これが求めて いた美しさ

なんて広大なのだろう

なんて清らかなのだろう

なんて甘美なのだろう


宇宙が私の目を通すとき


私は何も怖れない

全てとつながっているから


何も欲しがらない

全てを持っているから


何も案じない

全てを知っているから


私はほんとうの私でいよう


全ての存在を育む目を持つ私として

自分を1mmでも否定すると

世界がたちまちつまらなくなる


自分を1mmも否定しないとき

世界は神々のいる天国になる

小さな喜び


今、天は何をささやいているのだろう

私に何をしてほしいのかな?


天はいつも私を喜ばせたいんだ!

私に心から喜んでほしいと思っているんだ


私は何をしたいのかな?

何をしたら心から嬉しいのかな


私が心から嬉しいとき

みんなも幸せになる


私の小さな小さな喜びが

みんなを大きく大きく幸せにする

極寒の命


一年で最も寒いこの時期に

土の中で眠っている小さな命たち


その息吹がたまらなく愛おしい


春を待ちながらも

その授かった小さな 命で

大きな大地のおかあさんに包まれながら

いっぱいいっぱい愛を感じようと

育っている命たち


寒さを身に受けながら

どんな夢が育まれているのかな

自由な存在


ある日のこと

飛ぶのが下手な一羽のかもめが

飛ぶ練習をしていました


どうしたら気持ちよく飛べるのかな?


かもめはうまく飛べないながらも

なぜが気持ちよく飛べそうな気がしていました


そんなある別の日に

急にからだが舞い上がるのをおぼえました

それはとてもここちのよい感覚です


これだ!

この感覚!


お日様の光を浴びながら

自由自在に体を動かして空中を舞う感覚は

何とも言えない気持ち良さです

世界のすべてが一緒に喜んでくれている ようです


他のかもめたちもそれを見て同じように飛びたいと思いました


何故ならそのかもめがあまりに幸せそうだったからです


かもめはみんなと手をつないで心を静めてみました

 

すると次第に

他のかもめへと感覚が伝わっていき

たちまちみんなは空高く舞い上がっていました


みんなが幸せなのが

体中で感じられます


その喜びは

気づくと世界全体に広がっていました

天界の音楽     


天界には美しい美しい音楽が流れています


その音楽は天からいつも大地の私たちに降り注がれています


でも、それを聞ける人が少ないことを天は悲しく思っています


ほんとうは、ほんのちょっと心を静め耳を傾けてみるだけで

その音楽は体の中に気持ちよい響きとして聞こえはじめます


ある日、その響きを受け取った一人の少女が

その音楽を聞きながらダンスをしていました


それを見た人々は

心の深い奥に揺さぶられる何かを感じました


なんだろう?この感じ??


たまらなく嬉しく

たまらなくたまらなく・・・

言葉にできない感覚です


人々は全身を満たすその響きに

とめどなく涙が溢れてきました


探し求めていたのはこれだ!


そう確信しました


そして我慢できずに

少女と一緒に踊り出しました


すると天の音楽はみんなに流れはじめました


みんなに喜んでほしかった天は、やっと受け取ってもらえて、とってもとっても幸せに感じました

 

本間さんの短歌

紙一重 内へ向かうか 外見るか
真の望み 内のみに在り

この星を 守りしいつかの少年へ
注ぐまなざし ひかりとならん

なすすべの 無き道やがて 極まりて
思いもよらぬ 道あらわるる

わが修羅も 尊きものへ 変えてゆく 
ありがたきかな わの舞の道

師の言葉 大地の響き 呼び覚まし
時の連なり 我らに示す

はなれても つながり感じ 柱立つ
我がかたわれと ともにあるそら

 

(わの舞を始めてから、いろいろな事がどんどん変わっていきました。
客観的に見たら、どこが?と不思議かもしれませんが、今とても満たされて幸せです。
踊るほどに、体が新しい感じ方、考え方を知らせてくれます。ありがたいことです)

大いなる 御魂とつねに ともにある

そうと決めれば そうあるふしぎ

お茶を飲み ひとり焚き火を するように

静かに軸を 感じる時間

心地よさ 感じて 天を仰ぎ見る

すべてを包む 愛の広がり

 

(千賀先生は個人ですが、千賀先生を通して、天の愛を感じたと言えば良いのでしょうか。空いっぱいに千賀先生=天の愛情が広がっていて、意識すると足の爪先まですっぽりと包まれました。心が満たされるような心地よさをずっと感じています。ありがとうございます)

無きはずの花月の下 風そよぎ
桜の天子 ひと舞に咲く


(宇宙戦艦ヤマトに続いてガラスの仮面でした
月影先生の演じる梅の木の精は紅天女。
私が見たのは千賀先生の桜の天子。
思春期の入り口のころ憧れた世界を、私は今、生きています)


千賀より:ときめきの中で生きるコツは、12歳から18歳の間に体験したワクワク感を持ち続けることであると私は思っています。ときめく人は、他の人にもときめきを与えます。人生の初心を大切にしましょう!

幼き日 あこがれ読みし ものがたり

時めぐりきて いまわれに生きる 


(宇宙戦艦ヤマトに出てきた放射能除去装置に、まさか自分がなるとはびっくりしました。みんなで掃除機になったような感覚がありました)


千賀より:放射能除去装置は知りませんが、その感覚、とてもよくわかります。子供の頃の小さなときめきは、大人としての原動力となる大きな力です。私も、車にあるマークを貼っていますが、子供の頃のときめきをうながすためです。みんなですばらしい掃除機になりたいですね。

及ばねど 力尽くせば 暖かき
愛注がれし われに気付きて

夕焼けの 輝き君に 届けんと
あふるる想い 空に満ちゆく

静まりて 静か静かに 静まりて
胸の祠に わが手合わさる

我が為か あめつち 後の世の為か
なにゆえ我ら かくも踊らん

鈴木さんの短歌

おこないや 幾重あまたの 言葉より

慈愛に満ちた やさしき視線

深々と 母なる大地に 根を下ろす
古木の静けさ 調和の祈り

ぽかぽかと すべてを愛で つつみこむ
お天道様の 大きな心

春の空 ふわりと風に 身をあずけ

導かれるを  悦ぶこころ

舞い響く 聖なる声と 重なりて
天地をあゆむ その軽やかさ

あたたかく みまもる意識に つつまれて

天に捧げし 祈りの響き

くりかえし 型を重ねて 奥をしる
日本の伝統  受け継ぐよろこび

風吹けば その身を揺らし 悦び舞う

木々の姿に 在り方をみる

いくたびも 己がからだと 語りあい

やがてふるえし 真中(まなか)の鐘

林さんの短歌、俳句、詩、物語詩

いただきし 体を通し 観る叡智

何かをやりとげたくて、
生まれてきたはずなのに、

なにもかも忘れて
魂は、死んだように眠っていた

生きているのがつらかった
生きているのが苦しかった

生きている意味がわからなかった

生きていることに
感謝なんて出来なかった

この踊りを踊るたび、
体は、解放され、
自分がみえてきた

生きている感謝が溢れてきた

体が喜んでいる

魂が喜んでいる

魂は、眠りから覚めた

この人生でやりとげたいことがわかった

この踊りを踊るたび、
体は、解放され、
宇宙そのものになる

生きている感謝が溢れてきた

ひたむきに  育み生きる  素直さに

輝く命  夫婦つばめや

『君をずっと待っていた』

 

君をずっと待っていた。
やっと会えたね。
どうして今まで僕のこと見てくれなかったの?
どうして僕のこと気づいてくれなかったの?
僕はずっとここにいたよ。
君のそばにずっといたよ。
君が誰かを探しにいってしまっても僕は君を見守っていたよ。
でもやっと君は僕を見てくれた。
やっと君は僕に向き合ってくれた。
踊っていたら僕の存在に気づいてくれたんだね。
とてもうれしいよ。
君は僕のこと好きになってくれたんだね。
君は僕で。
僕は君で。
ひとつになれたね。

「楽園探し」

 

女の子は、この世界が息苦しかった。
どうして生きていかなければいけないのだろう。
ただ生きている、それさえもつらかった。
女の子は、楽園を探す旅に出かけた。
そしてさまざまに楽園と言われる世界に出会った。
そこでは、愛について学び、自分について学び、他にもたくさん勉強をした。
本もたくさん読んだ。
ああやっと私これで幸せに生きていけるんだ。
女の子は歓喜した。

 

ところがそのうちに女の子の心はなぜか苦しくなってきた。
学んだ教えを実行しているのに、自分が自分でないような気がする。
なぜなの?あんなに素晴らしい教えなのに、すごい教えなのに。
女の子は訳がわからなかった。
すばらしい教えのはずが、どんどん自分が自分でなくなるような気がするので、女の子はその楽園にいるのがむなしくなった。

 

これからどこに行けばいいのか。
とぼとぼと歩いていると、人がたくさん集まっていた。
にぎやかな人々の笑い声がした。
お祭りだった。
その中にひときわ目を引く別世界のような人々が、輪になって踊っていた。
その人たちの踊りは美しく神々しい。
まるで、神様、女神様、妖精のようだった。
その人たちがあまりにも美しく幸せそうなので、女の子もその輪の中に吸い込まれるように入った。


女の子は見よう見まねで踊ってみた。
両手を広げて天に向かってゆっくりあげた。
その時女の子の体にぞくぞくっと電気が走った。
それはとても心地よいものだった。

この清らかさ、清々しさは、なんなのだろう。
女の子は、自分のたましいが喜んでいるのを感じた。
体から喜びが溢れ、自分の内から響き出る何かを感じた。
体が踊ると、心も踊り出す。
踊れば踊るほど喜びが溢れているのに、自分の内は静かに静まっていて静寂だった。
それまでに出会った歓喜とはまったく違う世界だった。
女の子は、ほんとうの自分でいることができた。

 

女の子は思った。
楽園は、場所じゃないんだ。
教えじゃないんだ。
楽園は自分の中に、はじめからあったのだ。
教えも、知識も、ほんとうの自分から目をそらす、外側の楽園でしかなかったんだ。