千賀一生著 タオの暗号より抜粋

 この村では、まるで毎日のように祭りが行われる。
 私はこの村の祭りに参加させていただくようになった。祭りが行われる場所は、「神々の森」と呼ばれる森の中だった。
 村から少しはなれた小さな山にこの森はある。この森は、いかにも神々が宿りそうな荘厳な雰囲気がある。村から二十分ほど歩いた細道からはずれて山を入ってゆくと、こんもりと森の木々に半分おおわれた円形の空間が広がる。この村は、どこにいても心安らぐ思いがするのであるが、この場所はとりわけそうであった。私の魂は異常なほどこの場所に懐かしさを感じた。
 この、森の木々に覆われた自然の家のように感じられる小さな円形の広場の中心に、一つの石柱が立っている。高さは一メートルほどある石柱だが、よく見ると男根の形をしている。相当古いもののようで、古代の遺跡を思わせた。
 この場所は、祖先霊の宿る場所として、また、天神の降臨する場所として、はるかな昔からずっと人々が祭りを行ってきた場所なのだとM老人は説明してくれた。何千年も昔の人々がこれと変わらない風景を見ていたかと思うと不思議な気持ちになる。
 この垂直にそびえる石柱を取り巻く空間は、聖なる空間であるという認識が彼らにはある。彼らの認識では、この石柱の中心軸に精霊が雷光のように降臨するのであり、その周りの空間は、精霊の働き給う場となるのである。
 なお、私は日本にもこの目の前にしている石柱とそっくりな男根の石柱が縄文遺跡の一部に残されていることを後で知って驚いた。インディアンのトーテムポールも、あるいはエジプトのオベリスクも、もともとは垂直にそびえる男根像だったという説もあるから、彼らと同じ原始性宇宙観に基づくものであったのかもしれない。古代日本で神が「はしら」と呼ばれたのも、なぜ神が柱なのか、現代人には理解できないが、こうした認識がルーツにあったのかもしれない。
 彼らにとって、祭りとは、個々の精霊の働きを超えたより大きな精霊の働きとの出会いを意味するのだそうだ。
 祭りの時には、村の人々はこの石柱のまわりを円形にとりまく。男女が交互に並んで輪をつくり、最初のあいさつと思われるしぐさを行う。あいさつといっても、精霊へのあいさつであり、祈りでもある。
 彼らには、この石柱の下方には祖先霊が、そしてその上方には天霊が働くという認識がある。しかし、同時にそのそれぞれは、別のものではなく彼らの中では一つなのだ。私たちの概念とは、この点でもまるで異なるのである。ともかく、そうして彼らはこのすべての中心点たるこの石柱に意識をあずけるのである。
 私は最初の祭りの体験が忘れられない。すべての中心であるこの中心に向かい、手の平を上にして前方にさし出すこの時の彼らの姿の神々しさが、私の脳裏に強く焼きついている。この一瞬で場の雰囲気は別世界のように静まり返ったのを思い出す。まるで空気が静止したかのようで、風でゆらめく木々の音だけが鮮明に聞こえてくる。やがてそれさえも聞こえなくなるほどの静寂さに達した時、今度はゆっくりと体をなでるように両手を降ろしてゆく。ただこれだけの仕草で、なぜか体の芯がぞくぞくするほどの震撼を覚えた。とくに体をなでるように降ろす時、たしかに私の体は何かずっと以前にもこれと同じ体験をしたことがあるかのような不思議な感覚を感じていた。これを数回繰り返した。村人たちの意識の影響もあるのだろうか、私はまるで別次元に入ってゆくような錯覚に陥った。体も魂も洗い清められた思いがする。
 さて、特別な祭りでない限り、この後は、すぐに踊りに入る。この踊り自体が儀式の始まりでもある。
 人々の輪の外側四ヶ所に、大きな石があり、男の人、二、三人がその石のある四ヶ所に大きめの竹筒を両手に持って立っている。これは、踊りのための演奏を奏でる人たちだ。竹と竹とを打ち合わせてコーンコーンとリズムをとる。四方八方から、そのリズムが響き、時に石をその竹でたたくとカーンという響き。わきにある中がくりぬかれた大木の太鼓をたたく音。それと、人々の独特の発声、ただそれだけでなぜこんなに神秘的な音楽となるのかと感心させられるほど、魂が高なる音と声の世界だった。文章でこの音楽のすばらしさを表現できないのが残念でならない。彼らにとって、音楽とは、人間が創り上げるものではなく、大自然にはじめからあるリズムを顕現させる行為を意味するのだ。森の中に立体的に響き渡るエネルギッシュな音とリズムは、それだけでも私に未知の陶酔感をもたらした。
 この音楽に合わせて軽快なリズムで足を踏みながら人々の輪は回転してゆく。皆でつくった輪が一回転するまでそれを続ける。人々皆が一つに統合されてゆくのが感じられる。一回転すると、今度は手を上げたりさげたりしながら踊る踊りに入ってゆく。内側を向いているので、みんなの表情がよくわかる。私のむかい側にいる少女たちの開放的な表情がなぜだか何ともいえない懐かしさを誘う。
 時刻はすでに夕方であたりは薄暗く、演奏者たちの後方に灯された焚き木の灯りとそれによる人々の影のゆらぎが独特の雰囲気をかもしだす。
 人々はみんな、中心のあの石柱に意識を向けて踊っている。みんなの意識がその一点に集まる。私の意識も、その中にとけこんで、皆と一つになってゆくような気がしてくる。三十分ほどは踊り続けただろうか。音楽は単純ではあるが16ビートのリズムとなり、踊りもしだいにより軽快になり、とびはねるようなサンバを思わせるリズミカルなものとなった。すべての人のアップテンポな動きと自分のそれがぴたっとそろっている快感、音楽と自身が一体化している快感、迫力と熱気に包まれた空間と一体化している快感に、私は陶酔していた。そして魂の高揚が今までにない頂点に達したと私が感じたその時、音楽は鳴り止み、人々は上方を見上げ、ハミングのように聞こえる独特な発声とともに厳かな祈りのようにゆっくりと両手の平を上にして斜め上方に挙げてゆく。この時、私はすべてが静止したかのような奥深い静寂さを感じていた。その静寂さの中で、人々は、手の平を自分の方に何かをいただくように向けるしぐさを実に厳かに三回繰り返し、隣の人と手と手をふれ合うようにつなぎ合い、踊りはいったん静止した。
 私の両脇の女性と手をつないだ瞬間のそのやわらかな感触が、彼女たちの心の世界のすべてを一瞬で伝えてきた。言葉ではうまく説明できないが、彼女たちはふだんから私とはまったく違う自由な心の状態で生活していて、私の数倍も鋭敏な感覚で様々な事象を感じ取っていることが、なぜか伝わってきた。
 そしてその感覚が、手をつないでいるこの人々全員へとつながっていることに気がついた。この村の人々の意識に触発されたのか、このわずかな静止中に、私は今まで経験したことのないような一体感につつまれていたのだ。それまでも一体感を感じてはいたが、そんなレベルをはるかに超えた感覚だった。
 人々みんなが、深い一体感を感じていることはあきらかだった。誰の顔を見ても、これ以上ない最高の芸術作品と言うべき表情だった。すべてが癒されるほどの何ともいえない表情。そうした人々の意識が視覚を通さなくても、あろうことか体で伝わってくるのだ。
 私にとってこれは、ただの一度も経験したことのない意識体験だった。
 誰を見ても、これ以上ないと思えるほど魅力があった。顔のつくりなど問題ではなく、解放的幸福感からあふれ出る笑顔、そして、無条件ですべてを包み込むような慈眼。この独特の空気も、そうした人々の至福感を無言で伝えてくるのだ。
 そんな歓喜に包まれたその瞬間、手をつないだままでの踊りが始まった。体の躍動感がさらに目の前の彼女たちを輝かせる。もうこれ以上私の高揚感を言葉で表現することは不可能だ。ヤーマによって極限まで洗練された肉体が水を得た魚のように舞い遊ぶ。彼女たちが心を込めて作った手製の衣装は、彼女たちと同じほどに美しく輝き、その姿はまさに天女だった。
 この高揚感を生じさせているものは、こうした彼女たちの精霊意識(性エネルギー)と交流し合っている私自身の精霊意識なのか。これが性エネルギーの脈動というものなのか。
 これほどまでに美しく解放的な人々、その人々の意識と自身の意識が交流し合っているこの一体感。この何とも表現し難い一体感が、私自身の自己認識をも否応なしに変化させた。
 自分自身がそれまでとはまったく違って感じられた。私は、自分自身が、これほどまでにすばらしく、尊い存在なのだと感じたことはなかった。私は、私とは何かを、今の今まで知らなかったのだ。周りを見ると男の人たちもみな、賢者のように厳かにみえた。まるですべてを知っているかのような彼らの目は、私が今まで信じていた人間というイメージを崩壊させた。私は今まで何もこの村の人々の姿が、この世界が、見えていなかったことに気づかされた。
 愛だけに満ちた意識の海の中に私はいた。彼女たちだけでなく、この空間すべてが彼女たちのように美しく輝いて感じられ、彼らのように厳かに感じられた。私の眼前の、この世界は、一瞬で変化してしまったようだった。この恍惚感はたしかにセックスのエクスタシーを領域的にも質的にもはるかに凌駕していた。
 踊りは集団で円をつくり、ゆっくりと回転しながら進んでゆく。手はつないだままだ。
 そして四分の一周ごとにアクセントとなる動きが入ったりする。この繰り返しで踊りが進む中で、私はさらに深い一体感に満たされていった。すべての人がまるで自分自身のように感じられる。自分と人との間に何の壁もなく、私がそう感じるように相手もそう感じているのが肌でわかる。何という幸福感だろう。私が今まで生きてきた人生の中で傷付き、抑圧されていたマイナスの観念や思い、そうしたどうにもならない影の感情がすべて溶解してゆくかのように感じられた。
 これは一時的な興奮ではなかった。私はこの体験以後、それまでとは違った感覚でこの世界を感じる体質となった。何が違うのか、言葉で説明するのは困難であるが、ただ一つ明確なのは、ただそこにあるだけで、自分が幸せに感じられるその感覚だ。幸福とは、何かを手に入れなければ得られないものではなく、むしろ、何かを手に入れようと思うことそれ自体が幸福からはずれた生き方である証拠なのだと、この時以来私はわかるようになった。
(なお、私はこの旅から帰ってから、今までどうにもならなかった自分自身の個人的問題が氷解した。これは、奇跡的に自分の思い通りに偶然に物事が進んでそうなったのであるが、私自身の変化が、こうした結果をもたらしたのだろうと思う。また、一日の体験のように書いてしまったが、実際には、回を重ねるたびに私の体験は深まってゆき、こんな意識を体験したのである。)
 この祭りを重ねるたびに不思議なほどに他人に対する無意識の恐怖心がなくなってゆく。私たちは、たとえばあの人にこんなことを言ったらどう思うだろうとか、そうした他者に対する恐怖心とそれゆえの壁を作っている。深い一体感を通してそうしたガードが自然にはずされてゆくのだ。私にとって、ここに来たばかりの頃はこの集団での舞いが今までの自分の心を癒してくれる場となっていた。
 そこには言語によるコミュニケーションは何もない。しかし、その無言のコミュニケーションの中で、私の求めていたものがすべて満たされてゆくのを感じた。
 こうした感じが踊るたびに強まっていった。そしてある大きな祭りの日に、私は先のような衝撃的な体験に出会ったのである。
 通常の祭りは数十人程度の人々で行われることが多い。しかし、年に数回の大きな祭りでは村人全員に近い人がこの場に集まる。
(一年が16ヵ月のこの村の先祖伝来の暦は、まず1年が4つの季節に正確に割り当てられていて、それぞれの月が4つの週に分割されている。それらの区切りに大きな祭りが行われるのである。また、これとは別に、月の暦というものがあり、月の祭りもある。)
 音楽だけでも二、三十人ほどの人が奏でる大迫力の中で壮大な祭りが始まる。大きな祭りでは人々が所せましと座したままの舞いから始まる。軽快な16ビートのリズムに合わせて人々が一斉に同一の動きを刻む姿は実に壮大だ。そんな中で私は巨大な一体感に包まれた。すべての人の中に私の意識が入り、すべての人の意識が私の中に入っている。
 人との一体感だけではなかった。無数の草や木のすべてが生きているということが、肌でわかる。草や木だけではない。かすかにゆらめく空気の存在も生きていた。私のまわりの空間は、すべてが命だった。すべてが魂だった。生命の海の中に私はそれと解け合って存在している。そんな感覚だった。存在という存在はすべてが生きているのだ。それが観念ではなく、肌でわかる。そしてその反対に私の眼前にある無数のそうした存在たちは、私が彼らを感じるように、彼らも私を感じている。それがどう感じているのかも頭でではなく肌でわかる。そしてそうした一体となった感覚が、言葉に言い表せないほどの満ち足りた何かを私の中につくりあげていた。この表現は決して適切ではないが、これ以上に適切な表現が私にはできない。万物一体感とは、こういうものなのか。あまりの満ち足りた感覚に、私の体は芯から電撃が走ったかのように感じられた。
 それはたしかに、一種のエクスタシーだった。たしかに老子の言うように、この歓喜に近いものは、性のエクスタシー以外にないだろう。しかし、性のそれは、局部的だ。今、私のそれは、私の体どころか、他の人の中にまで広がっているのがわかる。すべてが私の体でその広大な体が歓喜に震えている。
 この体験は私に様々なことを気づかせた。
  この村のおばあちゃんたちが、なぜあれほどの、神がかっているとさえ思えるほどの洞察力をもつのか、私はこの体験で思い知った。意識と意識のコミュニケーション、それが、人への深い調和と共感をもたらす。おばあちゃんたちが何でも見抜けるのは、単に物事を観察する能力なのではなく、この、今私が体験している意識の次元にあるからに違いない。現に私も一人一人が何を感じ、どんな思いでいるかを、まるで自分自身の手足の感覚のように感じている。今、人を傷付けろと言われても、間違いなく私は自身が傷付いても人を守るだろう。一人一人がそれほどまでにいとおしく感じられる。
 これが人間の心というものだったのか。私が今まで自分の心と思っていた自分の心は、卵の中にいる雛のようなものだった。何という世界だろう。すべてがいとおしい。何という自由な解放感だろう。自分がすべてに広がっている。 
 気がつくと、周りの人たちが私をとりまくように囲んで私の手を握りしめている。私がどんな感動に包まれていたかを、私が感じるのと同じように、彼らも感じていてくれたのだ。一人一人が私を無言の笑顔でみつめてくれている。私は、私の中の最高の純なる心を、彼らの、彼女たちの目を通してはじめて知ったような気がして、それがこの上なくなつかしく感じられ、それがあまりにも幸せで、涙があふれて止まらなくなった。 私のことを何でもわかってくれている大きな愛の母親に抱かれたような感覚に包まれていた。
 私の中の心のブロックがごく自然に消滅していた。M老人が我と呼ぶ、心の汚れでありバリアーである自尊心や執着心や憎しみといったエゴが私から消えていた。
 彼らはこうして育つのだと、はたと気がついた。人々の中には子供たちもいる。彼らはこんな小さな頃から、私がこの年齢で、しかも奇跡的な体験と感じたこの体験を、ごく日常的に体験し続けて大きくなる。何という世界なのだろう。
 日本の学校の道徳の教育など、この体験の価値のほんのひとかけらにも相当しないだろう。この場から得られるものは、思いやりをもちましょうとか、やさしくしましょうとか、協調性とか、そんな言葉で表わすよりももっと深くにあるものだ。それ一つがあれば、そうした一つ一つはすべて必要ではなくなるほどの根源的なものだ。
 文明社会の宗教で語られる煩悩の超越や悟りなどといった言葉も、この体験以後、そのテーマ設定自体があまりにも人為的に感じられ、自尊心を感じさせる響きに感じられてならなくなった。
 彼らの祭りは、最高の道徳であると同時に体を魂と共に躍動させる理想的な体育であり、全身で味わう音楽でもある。また、はるかな昔からの祖先の営みと知恵の本質を学ぶ生きた歴史の勉強でもある。さらには、一つの社会を調和統一させることを政治というのだとしたら、この祭りには話し合いなど皆無であるにも関わらず、人々を最高レベルの調和統一へと導く超言語的政治ともいえる。実際、この村には政治などはなく、この祭りが、村全体を統一させる役割を果たしている。またこれは、人々をこれ以上にないほどに輝かせる人間そのものを対象にした芸術でもあり、そうして輝く彼らだからこそ、あんなにも美しく心のこもった織物や、土器や村が生まれる。教育、政治、芸術のどれをとっても文明社会が目ざすその理想をはるかに超えて実現させてしまうこのシステム、しかも、たった一つの行為がそれを成就し、そのどれ一つをとっても文明社会のそれをはるかに凌駕するレベルに完成させるこのシステム、何という文化なのだろうか。
 すべての存在は、「-」なるものによって、満たされ、生かされるという、老子の世界観は、この村のような、こうした世界を表したものに違いない。

昔之得一者
天得一以淸
地得一以寧
神得一以靈
谷得一以盈
萬物得一以生
侯王得一以爲天下貞
其致之一也
            (三十九章)
昔の一を得たる者、
天は一を得て以て清く、
地は一を得て以て寧く、
神は、一を得て霊に、
谷は一を得て以て盈ち、
万物は一を得て以て生じ、
侯王は一を得て以て天下の貞と為る。
其の之を致すは一なり。
  
 これが老子の言うタオの世界なのだ!
 私たちの文明社会では、教育も、政治も、芸術も、複雑化に向かうばかりで本質が忘れ去られ、子供の心は育たず、政治家は自分の利益しか考えない。人間性を失ったかにみえる青少年の非行や、小学生のレジャーと化した万引、成人になる人間とは思えない成人式での傍若無人な振る舞い、何もかも利益につなげようとする大人たちの浅ましいまでの利益主義、そうした日本の実態が頭をよぎった。何という違いなのだろう。
 私たちは複雑化が賢さなのだと信じてきたが、しかしこれは、まったくの誤りであることに気づかされる。この村は、逆に、一なるものへの帰一、すなわち、単純化という賢さを、極限まで実現させた社会である。この、最高レベルの効率社会はそうして生まれ、省エネ社会はそうして生まれる。時間的ムダ、物質的ムダがまったく存在しないのだ。
  私は今まで人間とは、働かなくてはならないもの、食べてゆけないものだと思ってきた。しかし、この村の人たちは、すべての人がその例外である。この村の人々は、自身を磨く創造行為にしか時間というものを使っていない。彼らは自身の魂が真に望むことを望んだ通りに行って日々を過ごしている。この繰り返しが、裏も表もない彼らのやさしさ、人間的輝きをもたらしている。
 大半が共働きの日本の社会では、日中のほとんど全時間が、労働に縛られている。私はそれが当たり前の人間の姿だと思っていた。しかし、私は、この村に来てから、一体、社会とは何なのか、国家とは何なのかを考えるようになった。私たちの社会は、経済というものによって人を縛る、奴隷化を奴隷化と感じさせない奴隷化社会でしかないのかもしれない。そればかりか私たちの社会では心を育てるはずの宗教でさえも、信者獲得という労働に縛られている。それに比べこの世界では、何を信じろなど一つも教えられていないのに、子供たちも大人たちも、畏敬すべきを畏敬し、彼らや彼女たち自体が、天女や賢者のようにさえみえる。
 きっと太古にはこんな社会があたり前に存在していたのだと、私は私自身が無意識に描いていた古代社会のイメージがいかに誤っていたかを反省した。私は私の属する社会が恥ずかしく思えた。あまりにも暴力的な社会に思えた。おそらく人類の大昔は、すべてがこの村のような理想的社会であったものが、いつの間にか一つの社会が欲と権力を求めたところから今日のような国家支配の世に至ったのだろう。
 教育であり、芸術であり、政治、体育、娯楽、宗教でもあるこの集団芸術は、同時に、何千年、何万年に渡る彼らの祖先たちの英知を次世代へと伝える情報伝達の場であり、見えない文化の記録でもある。
 私たちの文明社会は今、あたかも宇宙のビッグバンのように複雑にふくれあがり、その頂点でどうにも収集がつかなくなってきた。この社会がふたたび収縮へと向かうそのすべを、私は教えられた思いがした。
 読者はこの私の表現を誇張した表現と思うかもしれない。しかし、私は誇張どころか私のあの感動を充分に表現しきれない私自身にいらだちを感じている。こんなに様々なことを書きながらも、伝えたいのは、あの一体感が何だったのかという一点に尽きる。
 それを伝えようとしながらも、充分ではない文章力がそれを阻んでしまっている。私のこんな表現の何倍も深い体験だったのに、どうやってそれを人に伝えていいのか私にはわからない。読者の方々には、どうか想像力で、私の拙さを補ってほしいと願いながらこれを書いている。
 私はそれまで、人間とは、仲良くしようとする一方で互いに互いを批判し、否定し合う、そういう存在であるのはしかたないことだと、いつの間にかそう思って生活していた。しかし、そうした他人への気づかない警戒心や恐怖心といったものがまったく必要のない状態が、いかに幸福なのかを体験させられたのかもしれない。
 私はまるで人々の愛の意識の海の中にいるようだった。私たち一人一人は、その海のような意識を受信する受信機にすぎなくて、同じ意識を共有しているという、たとえようのない安心感、これは本当に、言葉では表現が不可能だ。
 この村にいて、日本の社会のことを思い出すと、かえってそれが非現実的に思われてくる。この村のありのままの現実の中にありながら思い出すと、あたり前の現実だと思っていた日本の社会が、まるではかない空想上の幻のように感じられ、人と人とが憎しみ合い、あくせくと歯車のように働かされる社会が、なぜか自分がいた社会でありながら、ひどく異様な世界に感じられる。子供が学校に行くのは当然の義務だと思っていたのに、ここの子供たちを見たその目で日本の子供たちを見れば、生まれながら自由な存在であるはずの子供たちまでもが強制教育という枠組みに縛られる、罪な社会に思われてくる。この村の子供たちは小さな頃から村人皆でかわいがられて育つ。母親一人が個室の中で育児に追われるということはない。ことに小学校低学年ほどの歳の女の子たちは皆、赤ちゃんが大好きで、赤ちゃんのいる近所の母親たちにおねだりしては母親体験のようなことをするのが習慣になっていた。学校と塾にのみ追われている日本の小学生とは実に対照的だった。最初に出会った三人の少女がそうであったように、この村の子供たちの目が日本の子供たちには見ることのできないような人間的知性を感じさせることに、私は大きなカルチャーショックを受けた。日本のような教育のあり方が、進歩した教育のあり方なのだと信じていた私は、彼女たちの知識を超えた「知性」に衝撃を受けた。多忙な中で子育てという「労働」に追われたり、「子供なんかめんどくさい」などと言う日本の若い女性たち、そんな世界がひどく病的に感じられる。こんなにまでやさしく人間味あふれるこの人たちを見ていると、なぜ日本では子供たちまでもが傷付け合うのかかがわかる気がする。老子が言うように、この世の中はまったく逆説的なのかもしれない。教育という美辞麗句で飾りたてられた日本にはそれがなく、教育という言葉すらないこの村には、私たちが求めているはずの理想中の理想の教育が実在している。私は今まで何を信じていたのだろう。
 この村にいると、私たち日本人が最も当然に価値あることと思っていることさえも、果たして価値なのかとも思えてくる。たとえば、がんばりましょう、がんばってください、と私たちはよく口にする。しかし、日本人のようながんばり方なんかしていない彼らの生き方は、私の目には、人に対しても物事に対しても、日本人よりもはるかに心のこもった誠実な生き方に見えた。また、日本人よりも真に創造的な生き方に見えた。彼らを見たその目で日本人を見ると、日本人の「がんばる」という観念は、極めて攻撃的な観念に見えてくる。考えてみれば、がんばる国として思いつく国ほど、より残虐な戦争というものをつくりあげている。西洋で一番よく働くドイツ人も、世界一の過労死者を誇る日本人も、西洋と東洋で最も残虐な戦争の歴史を刻んだ民族だ。反対に、がんばるという価値観のない民族で、戦争をつくりあげた民族があるだろうか。まったくそれを知らない南の島の人たちなどはもちろんだが、いくらかがんばる人もいるインド人でさえ、戦争をつくらなかった。戦争をつくりあげた国々は、例外なく利潤獲得のための労働に価値を置く国々だ。自然破壊、環境破壊の大きさも、やはり、そうしたがんばり主義度に正比例している。
 この村の人たちの中にいると、これが本当の人間らしい平和なあり方なのだという実感がわき起こる。この村の人々には、「がんばり」でも、その反対の「ぐうたら」でもない、そうした次元を超えた生き方がある。
 今アジアの国々はこれまでに経験しなかった最大の危機を迎えている。何千年という長い歴史で培われたそれぞれの民族文化が、突然押し寄せた文明経済という津波に呑まれ、一瞬で崩壊するという現象があちこちで起きている。急激に貧富の差が生まれ、下層へと追い込まれた人々は食べてゆけなくなり、それまでは皆無であった盗みや虚偽という見慣れない世界が生み出される。そうした社会変化が、それまでは調和的であった人間関係の質や構造を変え、家庭の絆まで蝕んでゆく。そうして心のよりどころをなくしてゆく人たちがあふれ始めている。日本で百年をかけておきたことが、わずかの間に、しかも、よりクラッシュな現象として襲いかかっている。
 今、アジアでは、自分たちが失ったものは、何だったのかを内省しはじめている。客観的に、自分たちの根ざしていた文化の価値に気づきはじめている。しかし、自分たちの心を支えていた文化の根が何であったのか、自分たちにもわかりかねている。ましてや、そこにどうやって帰れるのか、帰り道を失っている。私がこの体験をしたのは二十七年も前のことで、まだ多くのアジアがこんな事態に巻き込まれる前だった。
 私はこの体験で、アジアの諸民族のそれぞれの文化が、共通に根ざしていたその根に出会ったのかもしれない。

 

     愛に満たされて 
 後に私が知ったことだが、日本のアイヌの人々は、自然界の存在を自分たちの生活のためにいただく時、祈りをささげる。その祈りは、私たちの目でみれば、歌でもあり、踊りにもみえる。彼らは音声によって場を清め、踊りによって空間を息づかせ、直接に神々に結ばれる。
 これを知った時、私は、私のこの体験と同じだと思った。そういえばこの体験以前の体験の中でこれに最も近い体験は何かと思い返すと、それは、中学一年生の時にクラスで毎日のように行ったフォークダンスだった。私は義務教育九年間の中で最も心が通じ合えるクラスだったのがこの中一のクラスだったが、あのクラスの心のつながりは、まちがいなくフォークダンスによって生じたことを思い出した。たとえばマイムマイムは円形で手をつなぎ、これとよく似た形で踊る。もちろんマイムマイム自体は、さほど古い歴史はないだろうが、フォークダンス自体は、おそらくこうした人類の基底的文化に根ざしているのだろう。東洋の基底文化は、遠い昔、ヨーロッパの基底文化でもあったに違いない。
 こうした意味の踊るという人類始源の行為は、人類が求めるすべてを満たす力を秘めているのかもしれない。
 あの体験以後、私に生じた明確な変化は二つあった。一つは、あの体験以後、森に入ってゆく度ごとに一種の恍惚感に包まれるようになったことだ。森の木々や草花と私とがTaoの状態に入るのだろう。彼らとの間に大きな交流が起こるのがわかるようになった。村の少女たちが言っていた精霊の働きが、概念としてではなく、体でわかるようになったのだ。
 森の中で一人でヤーマをやっている人たちの深い恍惚感も、はじめて私にもわかるようになった。
 もう一つは、先にふれたあの体験の後、今までどうにもならなかった問題が一挙に解決したことだ。私のかかえていた問題は二つあって、一つは恋愛、もう一つは家庭上の問題だった。後者は私個人の努力ではどうにも不可能に思われる深刻で辛い問題だった。ところが、日本に帰ると、まるで別世界のように家族に変化が生じ、まったくなかった問題であるかのようにこれが解決されてしまったことは、私にとって最大の奇跡だった。前者の恋愛の問題も、自然な成り行きで解決した。
 そういえば、あの村にはこの私のような問題に苦しむ人などいなかったことを思い出す。
 私は日本の社会に育って、男女というものは、愛し合う片方で憎しみ合う性質をもつものだと、そうとは意識しないまでもそう信じていた。多くの男女関係のもつれを見たり、テレビドラマを見たりしながら、それが人間の姿なのだと思い込んでいた。しかし、この村で生活するうちに、私のそうした人間観はあっけなく崩壊した。この村で、私は男女関係のもつれなど、ただの一度も目にしたことはなかった。それどころか、日本では日常的なごく小さな男女の諍いさえも見たことはなかった。あの祭りで体感したような愛に包まれて育つ彼らは、愛に飢えたり、愛を渇望することがない。だから、それを相手に求めたり、不満を抱いたりすることがなく、反対に、誰もが当然のごとく愛を与えようとする。そうした彼らの満たされた意識が自然に理想的な男女の関係を生じるのだろう。
 あの村での体験以後、私は日本の人々が愛に飢えている姿がわかるようになった。あの村の人々は、異性を獲得して自分のものにしようとか、自分の気持ちを何とか告白して通じさせようとか、そうした個人的意志で異性に向かうことをしない。あの祭りで私も体験したように、意識と意識が通じ合っている彼らは、好きという気持ち自体、私たちのそれとは違って彼らのそれは互いの共感から生じる愛の意識であるために、片方にその意識が生じる時には相手にも生じていることを彼らは知っている。だから、ことさら言葉に出さなくても相手のことを好きと思えば、相手にそれは通じているのが通常で、文明社会の人間のような片思いに苦しむ姿はほとんど目にしたことはなかった。
 彼らのどんな夫婦も幸せそうなのは、こうした見えない愛の次元で、出会うべき人を探り当てるからもあるだろう。彼らを見ていると、人間は最初から出会うべき最高の異性が存在しているのだろうと思われてならない。それほどに調和ある関係が成り立っている。日本では「赤い糸」の話が神話的あこがれとして語られるが、彼らにとっては、それが現実なのだ。だから、彼らは十四、五歳で自然に望む相手と結ばれることが多い。しかし、所有欲や嫉妬心で相手を縛る観念のない彼らは、他の異性とも実に調和的で親密な関係を保っていた。彼らの日常はスキンシップで満ちていた。身体関係においても、まるですべての人が心の通い合った恋人のようでさえあったが、かといって、他の異性とのスキンシップに嫉妬心が起ころうはずはなかった。大道に満たされた彼らの中には、個人的な欲でそれを求める心などないからだ。異性に対する所有観念がないことが、逆にこうした一体性を結果として築いているに違いない。それは、人間以外の存在に対しても同様だった。財産の一人じめなどあろうはずはなく、財産という概念自体が彼らにはなかった。
 彼らの愛のすべてを実現させているものは、単なるみかけ上の男女の愛そのものではなく、そのすべてを包括する大きな愛(大道)なのであり、そしてそれを支えるものこそ、あの彼らの祭りなのだ!
 文明人は、この愛の本質であるグレートタオを失っている。だから、求めながらも愛が得られないのだ。
 私はそれまで、理想の異性を求めながらも、本当に通じ合える相手に出会えず、悩んでいた。しかし、この旅から帰って間もなく、特別に相手を求めたわけでもないのに、私がそれまで理想として思い描いていた通りの人物に突如として出会った。
 彼女は、はじめから先住民文化に関心をもっていた女性で、当時、昔ながらの生活が残されていた台湾のアミ族の村で、私に近い体験に出会った女性である。私が東京の小さな自然食品店で買い物をしていた時、彼女の方から声をかけられ、話をしたのがきっかけとなった偶然な出会いであった。M老人は、グレートタオへと到ったとき、本物の男女の出会いが実現すると言っていたが、まさにその通りになったことに驚かされる。
 私はあの体験以後、人々がなぜこんなにも金銭欲に飢え、権力欲に飢えるのか、そうした心理も不思議なほどわかるようになった。
 文明人の物質欲は愛の代償だ。人間の心には、精神の世界と物質の世界を混同してしまう性質がある。異性を自分のものとすることを愛の獲得と錯覚する心理は、物を手に入れることをも愛の獲得と錯覚する。デパートで買い物をすることで心が満たされた気がするのも、そうした心理がその裏に潜んでいる。文明社会ではこうして人々が所有欲という倒錯した愛欲を発展させてきた。そうした倒錯的愛欲の飽和点で生まれた制度が、現代の資本主義でもある。
 愛に満たされない心理が生み出すものは、権力欲でもある。他者を自分のものにすることを愛の獲得と錯覚する心理はまた、多くの人々を自分のものにし、自分の配下に収めたかのような状態に快感を覚える。潜在心理はそれを多数の愛の獲得と錯覚する。この倒錯した愛欲が、権力欲と呼ばれる文明人特有の欲だ。よく観察してみればわかることだが、権力欲旺盛な人間ほど、愛に満たされない過去の体験をもっているものだ。こうして無数の権力欲が権力欲とぶつかり、争いが争いを生む。
 憎しみ、破壊、争い、孤独、病的心理など、文明社会のあらゆる悲劇は、たった一つの欠落から生まれている。それは、真の愛の欠落という、人にとって中心にあるべき一点が欠落したことによる悲劇なのだ。
 この村の人々には私たちのような権力欲や物質欲など、みじんもなかった。当然、彼らの社会には私たちの社会のような悲劇もない。それは、彼らは、はじめから真の愛に満たされているからだ。人にとっての中心なる一点を失っていないからだ。
 欲という欲は、得られない愛の代償として生まれる。真の愛のあるところに欲は生じない。そして真の愛は、個人の性をぬき超えた聖性、グレートタオを経ずしては生ずることはない。私はそのことを、人類の源初的あり方が奇跡的に残されたあの村でのあの祭りで学んだのである。私にとってあの体験は、病んだ文明人の一人だった私が、自然なる人間へと復帰したイニシエーションでもあったと思う。
 思えば、現代文明が直面しているあらゆる問題は、すべてこの「欲」をクリアーにすれば解決できるものばかりだ。人類が調和団結すれば難しいはずはない環境問題、戦争の問題、人心荒廃の問題、こうしたすべてはこの異常愛欲から生じている。この村で得た体験は、現代社会の抱える大問題を一挙に解決させてしまえるほどの方法論を秘めていると私は確信する。
 あらゆる異常心理は、愛のひずみから生じ、その異常心理は、特別な犯罪者の心理ではなく、文明社会のあらゆる人にまで及ぶほどのごく日常的な心理である。あの体験以後、私は日本人が異常だとは思っていないごく日常的な感情さえも、その多くが倒錯した愛欲に基づいているとわかるようになった。嫉妬心や競争心、優越感、あるいは、正義感さえも、その裏には歪んだ愛欲の心理が潜んでいる。文明人の多くの争いは、この病的な正義感が生み出している。誰かを傷付けることでしか幸せを感じられない優越感の心理も、文明人の病的心境の典型だ。それまでは見逃していたこうした感情が、病的であることがわかる認識眼が私の中にいつの間にか生まれていた。