ダンス考

舞踊とは何かを深く追求するためのページです。

主に 会誌より抜粋します。

舞踊の宇宙ー舞踊を科学する

 

〈原型パターン〉と宇宙の生成


 今、目の前に一つのボールがあるとしよう。
 それは死んでいるかのようにただそこにあるだけだ。
 このボールを回転させてみよう。
 すると、まるで生きているように一人で動きまわる。

  この、球体(ボール)が生きものとなる時、球体には何が発生しているのだろうか?

 それは、回転する中心に形成される中心軸と、そのまわりを円形に取り巻くスピンである。

 この時に発生する、中心軸とそれを取り巻く円形スピンという構造は、単なる偶然ではない。
 それは、宇宙や存在というもののより本質が何であるかを物語っている。
 物質次元のみを見たとしても、宇宙はこれとそっくりな運動的構造を繰り返している。たとえば私たちの地球もこれと同じような運動的構造をしているし、太陽の中心軸を中心に諸惑星が回転する太陽系もそうである。そしてその太陽系を取り巻くそれぞれの惑星も、木星には十六以上の衛星が、というように…
 さらにその惑星を構成する諸原子もそうだ。原子核のまわりを電子が周回運動をするという、これまた類似の運動構造で成り立っている。
 私たちの内も外も、すべてはこのパターンで網羅されている事実は、この宇宙が、ちょうど一個の細胞のコピーが無限に拡大される生命のように、非常に単純な見えない原理で生成されているであろうことを推測させる。
 さらにそうした中から、時がたつと、まさにその細胞とその複製による生命体が生まれてくるわけであるが、この生命体と呼ばれる非常に高度な秩序の成り立ちや基本形態にも、やはりこれと同一の構造原理と思われるものが見えてくる。


〈原型パターン〉の形而上領域
 ご承知のように地球は北極と南極を結ぶ棒磁石が入っているようなものである。
 これは、地球の自転によって生まれる西向きに回転する電流のためと考えられている。つまり、コイルの原理とまったく同じ原理である。
 この見えざる領域の構造を追求すると、単なる物質上の運動以前に、そもそも見えざる何かの力がこのパターンを生み出しているであろうことを推測できる。

  磁場の世界は、現代の科学でもよく分かっていないことの多い神秘の世界であり、その本質が何であるかさえよく分かっていない。私たちの体も含め、あらゆる物質は、原子核と電子からなる原子でできていて、中心にある原子核のまわりを回転しているのが電子であるが、原子核の大きさは原子全体の十万分の一くらい、電子は重さにして原子核の約四千分の一ほどであり、このレベルだけでみても私たちの世界は実質、限りなく無に近い世界である。
「電磁波」「電流」「磁場」、この三つは日常でもよく使われる言葉だが、これらはいずれも電子の運動によって引き起こされる作用である。電流が流れる所には、必ず磁場が生まれるし、電磁波も電流やその他の電子の運動によって発生する。「電流」は、様々な電子の運動によって発生する波で、光もその一つだ。だから、電流が流れているところでは磁場も発生するし、電磁波も生まれる可能性がある。
 おもしろいことに、導線をらせん状に巻いてコイルにすると棒磁石とそっくりな磁界が発生する。この時、磁界はコイルの中で直線になっている。つまり、電流と磁界の関係は、どちらが直線を呈する時でも、直線とそれを取り巻く円形ラインというパターンを形成するのである。
 地球の場合も、このコイルに電流を流した時と同じ形の磁場を形成している。
 原子はまわりを回転する電子の働きによって磁界を形成しているが、この原子群が同じ方向に配列されたとき、磁石と私たちが呼んでいる磁界を形成する物体となる。ふつうの鉄は原子群の方向が一定していないが、磁化されるとき、原子群がみな同じ方向に並ぶことによって、この原子の磁界の巨大化されたパターンが生まれるのである。だから、地球の磁界も、単純に表現すれば、地球の中心軸の一定原子の配列が同じ向きを向くことで形成されているはずだ。
 すべては同じ一つのパターンから生み出されているのである。

〈原型パターン〉に導かれる生命の進化
 宇宙には、垂直状の中心とそのまわりを回転するエネルギー体という、この宇宙普遍の「設計書式」がその通りに直接的に表現されたレベルが二つある。
 言うまでもなく、それは、原子の世界である「小宇宙」と惑星の世界である「大宇宙」だ。
 この両者を仮に「基本宇宙系」と呼ぶことにしよう。
 私たちは、惑星という、この「基本宇宙系」を成り立たせる一部分として存在し、そのパーツでもあるため、この「基本宇宙系」を通常の視覚でとらえることはできない。
 そのため、生命というものへの探求も、この限られた視覚の範囲でのみ行なわれがちになる。そうすると当然のこととして生命は何と何が結びついてできたとか、そういった物性にのみとらわれることになってしまう。
 現に生物学の世界では、物質の結合のみを考慮にいれ、前生命物質が作られる実験が行なわれている。現時点では、これらの実験では実際にそんな条件がそろうかどうかわからないようなひどく限られた特殊な条件を前提にきわめてわずかな量が作られたにすぎない。しかも、実際に生命が誕生するにはそれらの分子が自発的にさらに高度な体制を備えたシステムに進化して行かなくてはならない。そのため、生命発生の研究分野は諸説が入り乱れる戦国時代の様相を呈している。
 しかし、発想を変え、これを宇宙という視点からとらえてみると、そこには、そうなるべき必然性が見えてくる。宇宙の至る所に満ちている基本設計の波が生命を発生させ進化させている力であるとしたら、今まで謎であった進化の様々な問題の答えが見えてくるように思うのである。
 たとえば、生命には植物と動物という二つの大きな系があるが、これらの系は進化すればするほど、ある共通のラインへとたどり着いているように思われる。

動物の場合、生きているかどうか、つまり、命というものの最もかなめとなるものは、神経系だ。神経系が働いていればその生物は生きていると言うことができるし、働いていなければ、たとえ他の臓器類が充分に機能できたとしてもその生命そのものは死んでいることになる。
 この神経系は、下等な生物では体全体に広がっているだけだが、進化するにつれ、ある構造的規則性を獲得してゆく。それは、中心となる神経中枢から木の枝のように各神経がそのまわりに延びてゆくという構造的規則性だ。
 進化の最高レベルである人間に至ると、この神経系の中心軸は垂直ラインに位置するようになり、その神経系のみを見ると、植物の世界における進化の先端、すなわち、杉や檜のような植物の幹と枝のパターンとそっくりな形状を呈してくる。
 多くの木々は冬には葉を落とし、死んだかのように見えるが、実際にはかすかな生命活動を幹と枝だけで行い、春になると葉に覆われて、活発な生命活動を再開させる。ちょうど動物の神経系を思わせるこの植物の幹と枝の構造パターンも、一個の細胞から進化したわけである。
 一次元的(線)な基軸と二次元的(平面) なそれを取り巻く広がりという、生命がある一定の進化の途上で獲得する形態的パターンは、宇宙の「設計書式」にあまりにも酷似している。
 生命は精子と卵子の結合した一個の細胞から始まるが、この一個の細胞のコピーがいかにして複雑な器官に分かれるのかは今の科学ではまったく謎のままだ。胚(受精卵が多細胞化したもの)の各細胞は、どこの場所にあるかによってどんな器官になるかが決まってくる。たとえば、筋肉になる場所からとった細胞を神経になる場所に移すと、それは神経細胞へと変形する。つまり、細胞の一つ一つにプログラムが与えられているわけではなく、どの「場」にあるかによってその細胞がたどる形態が決定されるのである。しかし、これがどんな情報の伝達経路があってそうなるかはまったくの謎なのだ。
 元米国イエール大学医学部解剖学教授であったハロルド・サクストン・バー博士は、かつてカエルの卵で興味深い実験を行なった。彼は電圧計に接触したマイクロ・ピペットを電極として測定したのだが、卵には軸方向を縦に貫く電位差があることがまず判明した。そして、最も電圧が高い値を示した軸に緑がかった薄青色の硫酸塩でしるしをつけて観察したところ、驚くことに、そこには常に神経システムが発生してくることがわかったのである。
 これは見えない生命の電気的な「場」というものが生命形態を形作ることを示唆している。球形の卵の中心軸に発生するこの見えざるラインは、惑星に対する中心軸の磁界に相似する。生物学の世界でこの生命とは何かにとって重要であるはずの発見が問題にされないのは、残念でならない。
 私は生命の発生や進化には、このような宇宙普遍の「設計書式」が関係していると思っている。らせんの形をしたDNAにしても中心核を取り巻く構造の細胞にしても、生命の基本単位にみられるその形が「基本宇宙系」とあまりにも共通点が多いことも偶然とは思えない。

 


〈原型パターン〉と舞踊
 話が飛躍するが、このような観点を前提にした場合、人類の普遍的舞踊パターンもまた偶然とは思えないのである。様々な民族の舞踊の原点を探ってゆくと、中心に精霊や神々の降臨する中心軸(日本では「御柱」や「ひもろぎ」と言われた)を拝しながらそれを円形に取り巻いて旋回舞踊を行うという同一のパターンに行き当たるのは、人類自身の宇宙という「場」への感応からではなかったかと、そう思われてならないのである。
 たとえば、古代の文化は失ったかにみえるヨーロッパでさえも、メーポールの祭りが今も残されている。春の始まりに豊穣を願って広場に柱を立て、その周囲を皆で回りながら踊る。それがこの祭りの本来であり、キリスト教よりもはるかに古い起源がある。柱は古来、宇宙がその本質の力を現す聖なる形状の再現であった。ギリシア神殿もあの美しいエンタシスの柱で知られるが、本来、石造建築は石を壁状に積み上げる柱を必要としない建築であり、エンタシスは柱それ自体が建築の目的であった。柱を神聖視する認識は世界的にみられ、中でも日本神話は、イザナギ・イザナミがそのまわりを回った「天の御柱」で知られるように、その最古の古形が良好に保持されている。

日本の巫女舞の古形も、「ひもろぎ」のまわりを回って回り返すこと、つまり左回転と右回転を同数行うことが基本であり、その中央に神霊を降臨させる。巫女舞は、言うまでもなく、古代においてはそこに精霊を降臨させるための舞であった。その起源は、人々がそれぞれに少数部族として村単位で生活していた太古の時代のそれぞれの部族の神聖舞踊に由来する。それらは、それぞれの少数部族(村)の中で独自に踏襲されていながらも、中心の聖域とそのまわりを回転するという点で高い共通性があったのである。興味深いことに、現代科学は、地球にこれとよく似た事象を発見した。
 地球の磁場には二つのタイプがある。一つは双極子磁場(ポロイダル型) といわれる棒磁石のように北極と南極を対極とする磁場の流れ、そしてもう一つはトロイダル型と呼ばれる円形に周回している磁場で、北半球では地球の自転方向と同じ側に磁場が周回し、南半球ではその反対側に磁場が周回している。恒星も惑星も、基本的にこの二つのタイプの磁場を形成しながら運行している。
 聖なる中心を回って回り返す巫女舞の古形が、宇宙に普遍する、この中心軸を右回転と左回転に取り巻いて舞うトロイダル型磁場の舞と相似形を成すのは、はたして偶然だろうか。生命と物質とを分割する現代人の表層的識別を超えて、両者に共通の基底が存在してはいないだろうか。
 円舞(輪舞)はなぜ我々に深い一体感をもたらし、人としての本源的な心情を回復させるのか。 
 円舞を舞う時、我々は一つ一つの電子となる。我々の本質はエネルギーである。我々のエネルギーが輪をつくり、スピンする時、我々は一個の小宇宙を形づくる。それは決して小宇宙の模写ではない。見えざるレベルで、我々は本物の一個の小宇宙を形づくり、その一つ一つの電子となる。深い一体感の本質はそこにあると、私は実体験の上からもそう感じられてならないのである。
 世界的にも類例がないであろう輪舞のみによる舞踊サークルを私が創始した理由もそこにある。私の創始というよりも、これは太古には当たり前の生活文化の中心であったものだ。
 日本神話では、国生みの際に、イザナギとイザナミが天の御柱を「見立て」、それぞれ左と右に御柱を回ったとされている。見立てるとは、実際にはそのものではないが、そうであると意識することである。この言葉は、いかに彼らが〈原型パターン〉に意識的であったかを物語っている。
 この形式の舞を一定条件のもとに舞う時、現代の私たちも、深い一体感につつまれる。しかしその感覚は、人々との関係以前に、宇宙そのものを満たしている「場」への感応を基底にしている。そしてそれこそが、舞踊の原点であると同時に、祭りの原点でもあったに違いない。
 日本神話では、八百万神々が天岩戸を開こうと集う中、唯一開くことのできた神は、その名も「宇宙のスピン」を意味するアメノウズメ。この神は、巫女舞のルーツを示すと巫女世界では古来より伝えられている。我々の本質が宇宙の原型パターンと一つに結ばれる時、その中心となる光によって心の闇も世の中の闇も消失する。日本神話は、そう我々に語っているのではなかろうか。

○ 古代舞踊に用いられていたエネルギーの型

宇宙のあらゆる存在は、この形態のエネルギーパターンで生まれると言われています。わの舞は、この見えざる型を古代舞踊と同様に用います。個人がこの型と一つになるとき、心が満たされ、集団がこの型と一つになるとき、真の調和と愛が生まれることを、古代の人たちは認識していました。しっかりとした理論に裏打ちされた舞踊世界をぜひ体験してみてください。